Foreign Landscape

愛が欲しいです。

Look at these ugly bastards.

人間が物質であること。それが山田風太郎の地獄だった。

医学生として銃後にて読書と勉学に励み、「戦局必ずしも好転せず」の放送を経て、自らの懊悩を書き残しているが、しかし彼を苦しませ、孤独にさせる要因は外部にあるのではない。

自我。これほど根拠薄弱なものの中にしか生きられないというヤバさ。そこから一ミリたりとも抜け出すことができない窮屈。それらが山田風太郎の作り出した地獄を構成する素材だ。

ここ1、2世紀の間に人口が爆発的に増え、人がめちゃくちゃにひしめき合うようにようになったあたりから、ダンテがベアトリーチェと巡った地獄はたいへん時代遅れなものになってしまった。なんか人がうめいている感じだった画一的な地獄のビジョンはすかっかり廃れ、肉体という看守不在の牢獄の中で、個々人がセルフメイドに地獄を造り出す時代が始まった。自己嫌悪という罰を己に課しながら、私たちは向き合うすべすら見つからないままに、潜行していた死が徐々に濃度を増していくのに脅かされながら、生まれてきた罪の償却を行わなければならない。

 

新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫)

新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫)

 

 

退廃食生活

Advertising to children: Cookie Monster crumbles | The Economist

 肥満体とテレビユーザーの相関なんかに触れてるけど、なんともエコノミスト的な知の在り方ですな。

食事という行為そのものが本来備えていたある種自暴自棄に真っ向から向かい合う倒錯を人が捨てちゃうのは味覚というたぶんどんな言語領域の人間でも共有できる幸福を反故することと同義だと思うんだけどどうなんだろう。

いずれにせよ脂質と油分と糖分を生活から無くすってのは私には考えられそうにない。まあその結果CTに脅かされることになるわけですが。本当に食ほど生命の在り方と直結している娯楽も無いですわ。

人はなぜ太るのか―肥満を科学する (岩波新書)

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 あと、漫画のせいでワインを覚えちゃったのも最近は怖かったりする。

 

神の雫(40) (モーニングKC)

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ホムワトもの

ボヘミアの醜聞」はおすすめですね。ホームズのために犯罪すら厭わないワトソン

 

シャーロック・ホームズの冒険―新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)

シャーロック・ホームズの冒険―新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)

 

 

という。

豚のとんでもない奇策

荒川弘の漫画は(主にオピニオン系オタク諸氏から。私もですけど)「説教臭く」、「どこかで突き抜けた」ところが無い、と言われます。私もそれには共感するところもあるし部分的にはかなり正しい指摘だとも考えるのですが、しかしこの人の局所に散りばめられた漫画教養のパーツを仕込む手つきの洗練さには毎回舌をまくし、いつの間にか読者は作者のフィールドにあげられてしまっている、ということこそが真に重要なのだと思います。

慎重に核心を避けつつ、その周囲を遠巻きに探りながら別の魂胆を匂わせる。てっとり早い結論を提示するのではなく過程を物語ることによってまるで登場人物たちが答えを見つけたかのような決着を迎える。と言えば立派ではあるしその努力の痕跡がきっちり「面白さ」に貢献するならば私もすごいなあと思います。

けれども、そうした努力を輝かせるために別の種類の努力も必要になると思うわけです。つまり、読む側のバッファをあふれて結局は頭の芯には届かないプロセスや、予想外の方向から新しいものの見方を提示するといった努力を省き、「いつもの」説教をするという努力。

ワ〇ピースのつまらなさが辛い私も、荒川弘の漫画が好きな理由がこれだとふと感じたのでした。実際、過剰なところを「時に垣間見せる」という手口で面白い漫画を成立させる、という意味ではこの人、信頼できます。ちゃんと利己的な動機で作家やってるのが自覚的だとも思うし。

 

銀の匙 Silver Spoon 9 (少年サンデーコミックス)

銀の匙 Silver Spoon 9 (少年サンデーコミックス)

 

 

バンプオブなんとか

希望は弱者の夢想。

有史以来積み上げられた幾万の弱者の屍の上で、尊ばれる強者・英雄が生を全うするのがこの世界の在り方だ。

A rule.That is a string of latters telling the world to be certain way.

That world is so.

こんなことを言うのが弱者の陳腐な、あまりに凡庸な在り方なのは分かる。が、それでも「弱者」という存在の様式を笑える人を羨ましく思うのを止めることはできない。

 

Harmony

Harmony

 

 

 

私がこの世に存在したこととそうでなかったことで

なんの違いがあるのか。

とりあえず大人になって、生きることのやばさに徐々に気付き始めて、もはやその営みの徹底っぷりから目を背ける以外に生活を維持する方法が分からなくなってきたこの頃。

賞賛される人生も、幸福を全うすることも、結局は統計とか、「傾向」とかいう事物の確固たる秩序の気まぐれの過程の一部でしかないじゃん、という生命の意義に対する不信。

結局、世界の陰険さという魅力的な信仰と、生命の意義はただ生むこと、というありきたりな、つまらない考えに縋るしかなくなる。

 

生まれて、苦しんで、死ぬこと。

 

それが現実ならば、「自分」などなければいいという結論もこのユルユルの精神的基盤しかもたないわれわれの自我を経ちゃえば当然の帰結。運命づけられた世界への最高の拒絶の意思表示って自殺するしかないってことじゃん。ウソだろ。

だからまあ、私の生涯は子孫たちのためだと思うことにする。それが自分を鼓舞して、いつか自分の中での現実を克服する手段が見つかるまでは戦い続けることができれば、と思う。